吉高由里子/色気とは…。

白い春」をちらっと観たら吉高由里子が出てた。不思議な人だと思う…。顔立ち自体は、本来はすごーく清楚な感じで、YUIにもどこか似てるな、と思うのだけれど、それゆえ化粧映えするのか、似合うのは小悪魔っぽい雰囲気をもつ役だとおもう。

すんごく美人、とは言わないし、顔だけみたら他に綺麗なひとはいっぱいいるだろう…けれど、彼女の、とても大きいわけじゃないのに、野心を宿したみたいにみえる目がすごく好きです。

それで、最近、吉高由里子って色気があるなーと思う。決してヌードになったからじゃない。
色気ってなんだろ、というのはここ数年わたしがずっと考えてきたことでもあるんだけど、最近なんとなくわかってきたことがある。
誤解を恐れずに言えば、いつでもセックスできるような準備をしてるような人にみえるか、どうか…ということも、色気の条件のひとつになるのかなぁ、と。つまり、さっきともさかりえ扮する里子を散々けなしたけれど、彼女はそうはみえないわけです。いざ!って脱がしたら、あらぬところに毛が生えてたり、変な下着だったり、そういうことがある女なんじゃないか、と思わせる。実際はどうあれ、そういうことがあるんじゃないか、という不安は、性的な欲求とか要素とかをかき消してしまうんじゃないかなー、と考えたりしたのです。

その点、吉高由里子は、いつでもそういう準備ができてそうな人にみえる。それは、いつでもできそうとか、決してそういう意味じゃないけど、「女」じゃない状態の吉高由里子を想像するのは難しい。彼女もだらしないカッコで家でTVを見たりもするんだろうけれど、決してそのとき、スウェットなんか着てないんだろうな、と思う。それなら、パンツだけで、それも面積の少ないパンツで、キャミかなんか着て寝そべっているところのほうがよっぽど想像できる。だらけていても、セクシーというのか…。
これはあくまで、実際にそうしているかどうか、は問題じゃなくて、「そうしているようにみえるか、どうか」が問題なのだ。


よく、男に興味を持たないと色気は出ないよ、といわれるけれど、恐らく色気というのは異性に関心を持ったり、実際係わり合いになったりして出てくるものなんだろう。そして、「実際に」そういうことがなくても、そういうことがありそう、と思わせるだけで、「色気のあるひと」と言う風に感じられてしまうものなのではないかな、と。


吉高由里子の笑った顔はほんとうに可愛い。あの獲物を狙うような目つきをしたあと、笑われたりしたら(あるいは逆でもいいや)、わたしが男だったらもう騙されてもいいやーって気持ちになりそうなんだけれど、そんなこともないものなのでしょうか。