ランチタイム

お昼を誰と一緒に入るのか、というのはOLにとってわりと重要な問題であるらしい。とりあえず慣習どおり同期と入っているものの、いつも息苦しさを感じてた。楽しくもないけれどとりあえず笑う。無駄にあげたテンションに心が追いつかない…。

そんな折、宝塚が、わたしと数字の話をした直後、「お昼一緒に入る?」と声をかけてきてくれた。で、とりあえず一緒に入った。

宝塚「よくもまあ、仲悪いのに同期で一緒にご飯はいるよね」
わたし「悪い??という 表現が 正しいのかはちょっとよくわからんです。わたしは同僚として過不足ない付き合いをしてるつもりなので」
宝塚「同僚ね。なるほどね。考え方はわたしと同じかもねー。まあわたしは同期は大っきらいだったから、一緒にご飯も入らなかったし、誰かに聞かれたら、嫌いだから入らないんですよね、って言ってたよ」


…そこまでの強さをわたしはもてない。だからこそ決定的な発言はせずに、のらりくらり、距離をおきたいと思ってる。


宝塚「一緒に入るのが嫌なら、わたしと一緒に入るふりでもすれば?わたしはいつも一人で入ってるし。…でもたまには一緒に入ろう」
わたし「宝塚さんがお嫌でなければ ぜひ。」


そして今日も宝塚とご飯に入った。ひたすら数字の話なんかをする。でもたまに化粧品の話なんかも。宝塚も普通の女性なんだなーと安心する。
同期といるより、自分の気持ちをストレートに話せるし、ストレートに話したことで誤解を受けない、と安心もできる。

自分の投げかけた言葉を、縮めることなく伸ばすことなく、正しい尺度で受け取ってくれるひとがいるというのは幸せなことだ。中高のときからの友人はそうだった。その延長線上で大学の友人もそうだった。アルバイトをしたりするようになってから、色んな人に出会って、「あれ?なんでこんな受け取り方をされるの?」ってことがたまにあったりして、でも、そういう溝は、ある程度までは埋められても、結局完全には埋まらないんだと気づいた。

宝塚が、「わたしがやめても泣く人はいない」みたいなことをいうから、わたしはわたしなりに、精一杯、正直に話をした。

「わたしは、宝塚さんがやめて、泣くことはないかもしれないけれど、自分と同じような考え方の先輩が一人減るのは、とっても残念に思うし、すごく寂しがると思います」

宝塚はそのとおりに受け取って喜んでくれた、けれど、
たぶん、他の一部のひとだったら、

「aprilfoolさんは、宝塚さんがやめても私は泣かないって言い放ったんだってね〜^^; なんかすごくない?普通は言わないよねー」

…とか、そういう言い方、捉え方をするんだろうなー…と漠然と考えていました。

要領のいい人だったら、「えーーっ、わたしは泣きますよ〜!」って答えてそれで終わりなんだろうな。でもわたしにはそれはできない。でもできるだけ正直に、自分の思ったことを、少しの齟齬もなく言語化したいと思ってる…そしてそれがそのまま、伝わればいいなーと願ってる。

たぶんとんでもないエゴイズム!
伝えたいなら伝える努力をしろ、って言われそう、結局のところ、相手の受け取り方がすべてなのだから。