漫画 アイシテル〜海容〜

アイシテル~海容~前編 (KCデラックス BE LOVE)

アイシテル~海容~前編 (KCデラックス BE LOVE)

色んな方のブログでドラマの感想を読んで、ずっと気になってた作品……時間的にドラマは厳しそうだったので漫画を買ってきました。でも前編しか見つからなくて非常に消化不良だ…智也がキヨタンを殺したのはなぜなんだ…。

タイトルに冠された「海容」とは、「海のように広い寛容な心で、相手の過ちや無礼などを許すこと」という意味合いだそうです。初めて知った言葉。

漫画を読んで、わたしが移入したのは聖子(被害者母親)よりもさつき(加害者母親)よりも、美帆子(被害者姉)でした。わたしにも弟がいるので、美帆子の言動があるあるすぎて、昔の自分をみているようでつらかった。キヨタンがまだ帰らないと心配する母親に、「まだ五時半じゃん。わたしが小学生のときなんて、七時半まで遊んでても平気だったでしょ」と。あなたはしっかりしているから心配なかったもの…と言う母親に、「心配ないんじゃなくて、関心がなかっただけじゃないの」と返す美帆子。息子が帰らなくて焦っている母親としては、相当イラっとくる言葉なのだと思うんですが、でも美帆子の気持ちはすごくよくわかります。

「いいよ、別に。キヨタンが死ぬ前だって、ママはキヨタンのことばっかだったじゃん。私だったらよかったよね、キヨタンじゃなくて。」

「同じように愛してる…って言うんでしょ。でもねママそういうのって肌で感じるの。どんなにとりつくろっても」

死んだのがわたしだったら良かったのにね、なんていう言葉を子どもから聞くなんて、母親にとってはすごくつらいことなんじゃないかなと思います。が、多分美帆子が想像するように、母親は「どちらも同じように愛してる」と言うのでしょう、そして実際にそうなのかもしれない。少なくとも意識的に美帆子とキヨタンを区別したりはしてなくて、平等に愛情を注いでいると思っていたんじゃないか。でも深層心理の部分では、二人の子どもに「全く」同じようにするのは、きっと難しいことなんだと思う…。聖子が意識していないぶん、厄介で、でも確実に愛し方に違いがあるからこそ美帆子を傷つけている。

少なくとも聖子のキヨタンに関するこんな思いを聞いてしまうと……。

「なぜか男の子って下の子って胸が痛くなるほどかわいいのよね。不思議だわ。丸いほっぺ、細い肩。ひざに座るときお尻のお肉がないから骨があたっていたいのよ。そんなときせつなくなるほど愛しいの」


これは すごいよ…。こんな表現はじめてみました。

なんというか反射的な、無条件な可愛さなのだと思う…。

母と娘というのは、多分大人になってから分かり合えるものなのだと思う。息子というのは、母にとっていつまででも「世話をするべき可愛い存在」であって、人生を共有する相手ではない。(…と思う)。少なくともわたしが、弟と比較して自分に軍配が上がったな、と思うのは二十歳を過ぎてからだった。母は弟にいつも本当のことは言わないし、それは年齢のせいじゃなくて、きっと彼が30歳になってもそうなんだろうと思う。

美帆子に関しては、いつか、大きくなったとき、母親と分かり合える可能性があることだけが救いです…。きっと聖子も、無条件に可愛いのはキヨタンで、つい世話を焼いたり構いたくなるのがキヨタンでも、いつか本当に心に寄り添っているのは美帆子であることに気づくのではないでしょうか。そうなったときに、娘がいてよかった!と聖子が思ってくれたらいいなぁ、と…。
本当なら、この父親が、その分美帆子を可愛がって、穴を埋めてあげればいいと思うんですが、この夫婦はあまりにもキヨタンキヨタンなので…。

ちなみに、美帆子役の川島海荷(かわしま・うみか)って、カルピスウォーターの美少女だったんですね。ハイビジョンで観ると美しいこと。若いってすごいなあ!と思ってしまう。石原さとみ風のナチュラル眉毛が特徴的…。きれいだとは思うけど、あまりに自己主張が激しそうな感じが、得意ではないかも。それにしても、変わった名前です。海夏とか海香、海歌、海華とか色々あるけど、あくまであの字を持ってきたのには何か意味があるのでしょうか。




加害者家族のほうはどうも移入のしどころがないけど、さつきがあまりに「なぜ!どうして!」ばかりで、殺されたキヨタンやその家族に思いを馳せたり、被害者家族の立場になって想像したりするシーンがないのにびっくり。まあ今はそんな状態でもないのだと思いますが…。

しかしこのお話、どうやってオチをつけるんだろう…??読んでいるこちらもキヨタンが死んでしまった喪失感がひどいのに、被害者家族がそういうのを埋められる日というのはくるのかな。加害者家族が謝って反省したところでどうにかなる問題なのかな…。わからないけど早く後半が読みたい!