お別れ。

25日の水曜日、わたしの大好きな祖母が亡くなりました。


そのときわたしはお客さんと話をしていて、前からずっと決めたかった話が決まって小躍りしながら、それに伴う事務作業をしてる最中だった。そのとき、血相変えた同期が「ちょっと、いいですか?緊急なんですが」と話しかけてきて…。
あーークレームかな、やだな面倒だな、と思いながら、中座したら、「今おかあさんから電話があって、おばあちゃんが亡くなったんだって」と。

すごくびっくりして、何も考えられなくて、「え、なんで」とか「どうして」とか「いやだ」とか言いながら、わたしはその場でわんわん泣いて、先輩に廊下に連れ出されて…。

それから引継ぎをしてすぐ病院に向かうと、既に伯母と従姉妹と母がいました。祖母はベッドに横たわってて、まだ少しあたたかかったけど、身体に弾力がぜんぜんなかった…。

それから一晩を斎場で過ごして、
翌日お通夜をして、
今日、葬儀をして、家に帰って来たんだけど…

まだ現実味がありません。
なんかひどい喪失感なのだけれど、でもまだ電話をかけたら祖母がでるような気がする…。

祖母は5年位前から痴呆がはじまっていて、最後のほうはもうわたしのことも判別できなくなってた。
こないだ病院で、「だれ?」と言われてわたしは泣いたのだけれど、もしかしたら、そのとき精神的なお別れみたいなものは済ませてたのかもしれない。

もう最近は話しかけても反応があまりなくて、ただにこにこしてるだけで…。

人はなにをもって相手のことを、その人だと判別するんだろう?
よく、恋人が事故で顔が判別できないぐらいになってしまって、それでも愛せるかとか、そういう問いかけがあるけれど。
わたしのことがわからなくなって、反応をしなくなってしまった祖母は、少なくとも精神的には以前の祖母ではなくなってた。そのときすごくショックで、あれもある意味、別れだったんじゃないかと思ってる。
母と祖母との昔話をするときも、最近は全て過去形で話をしてて、もう精神的に以前の祖母がかえってこないのはわかっていたから…。

だから、お通夜の晩も、横たわってる祖母をみても、
悲しいのだけれど現実味がなくて、
だって、反応をしないという点では、生きているときと何も変わらなかったし、祖母の身体はそこにあるのだから…とよくわからないけど納得してた。

でも、斎場から出棺するとき、「最後のお別れをしてください」と言われて花を棺に詰めたとき、こらえきれなくなって泣いてしまいました。横をみたら母も泣いてた。この一連の出来事で母が泣くのを初めてみました。
たぶんわたしは、祖母との精神的な別れはずっと前に済ませていたから、肉体との別れが辛かったんだと思う。
斎場の人に、連れて行かないで欲しいって言いたかったし、現実的にありえないのはわかってるけど、剥製か何かにして家に…とか、そんなことまで考えてしまった。
死に化粧をした祖母は生きてるみたいで、
よく「眠るように」とかいうけど、まさにそんな感じだった。「手垢のついた表現」は、色んなひとが納得して使ってきたからこそ、手垢がついてしまったんだろうな、と思った。

べつにわたしは死にたいとか、そんなことは全然思わないけれど、
もし今日、わたしが寝ている間に祖母がわたしのことを連れて行ってくれるなら、それでも全く構わないな…と思ったりしました。

そういえば、亡くなる前日に、伯母は祖父のお参りに行っていたそうです。で、3月25日は、伯母の愛犬の命日…。
「おじいちゃんと、フーちゃん(犬)に、そろそろおいでって呼ばれたのかもねえ…」と親族はみんな話していました。ちなみに母は、前日に、『おくりびと』を観て感動してたんだそうです…。多分、こういうのってただの偶然なのだけれど、奇妙な符合も感じてしまいました…。
そういえば、最近わたしはいやなこと続きだったけれど…もしかしたらわたしの低調さが祖母にも影響してしまったんじゃ…とか、そんなことまで、考えてしまいました。

祖母は5年前からグループホームに入っていたのだけれど、結婚25周年記念で祖父に買って貰ったダイヤの立て爪指輪を、同じホームのおばあちゃんと「交換」してしまったみたいで、いつの間にかオモチャの指輪をはめていたんです。
まぁ、高価なものはホームに持ち込むなって再三にわたって言われていたので、わたし達もどうにかするつもりはなかったんだけど、それがうっかり昨日、出てきたみたいで、無事お棺におさめることができました。偶然なんだろうけど、祖母がずーっとはめていた指輪だったので、見つかって本当に良かった…。

わたしは祖母にベッタリだったので、可愛がられた記憶しかないし、祖母もわたしのことを一番可愛がってくれてたと思う。たぶん、生きていく上で、無条件で愛情を注いでくれるひとというのが一人は必要で…ある意味、逃げ込む場とも言えるんだけど、そういうのがなかったら、多分、高校ぐらいのときわたしはどうにかなってたんじゃないかと思う。
無条件の愛情というのは、無責任とも言うことができて、責任がないから猫可愛がりすることができるんだけど…でも多分そういう人が必要なんだと思う。

それにしても親戚づきあいは面倒で…
うちはわりとそういうのが希薄なんだけれど、たまに会うとやっぱり面倒くさい親戚もいて。

祖母の妹のチヤコというひとがいるのだけれど、よく漫画に出てくる「いじわる姑」を地でいくような人なのだ…!

従姉妹が斎場に入ってきたとき、自分に挨拶しなかったのが気に喰わなかったらしく、
「あっら〜あの家の子は挨拶もしないんだねぇ…やっぱり親の躾かねぇ?普通は挨拶するわよねぇ〜〜C子だったらするわよ。わたしそういう風にしつけたもの」

と 聞こえよがしに言ったり…。

C子というのは彼女の娘で、40歳独身なのだけれど、
そのC子も弔電一本よこさなかったし、似たり寄ったりだと思うんだよ。それに、挨拶しないから云々って何様なんだろ。いや従姉妹も一言ぐらいあってもいいと思うけど、チヤコだって大人なのだから、久々に会ったんだし、自分から声かけてあげるぐらいの心遣いがあってもいいのに…。
それからも、やれお茶が飲みたいだの、水はないのかだの、喪主の伯母をさんざん働かせて、井戸端会議をして、帰っていきました。
普通、喪主は色々大変なのだから、喪主の近親者があれこれ仕事をするものだと思うんだけどな…まるっきりお客様で、噂話をするために出てきたようなものだった。

わたしや弟に、大学のことや就職先のことしつこく聞いたり(会社名はともかく課名まで聞かれた)、
祖母のお棺に入れる指輪のこと、「指輪なんて入れたって仕方ない」とか「ダイヤが燃える」とか「形見分けしろ」とか…。
祖母の指輪なんだし、形見分けしたとしてもチヤコにいくわけがないし…それに祖母がずーっとはめてた指輪なのに、ダイヤなんてどうでもいいから、お棺に入れてあげたいっていうのがわからないんだろうか。
お骨を拾うときも、割り箸で指輪の残骸を拾って、じ〜っと見ていたり、祭壇に供えられてた果物を「あれはどうするんだろうねぇ?おいておいてもねぇ…=(持ち帰らせろ)」と言ったり、通夜のあとの食事で出ていたおつまみをゴッソリ持ち帰ったり…
あまつさえ、二年も祖母のもとをたずねなかったのに、「来週にでもいこうと思ってたんだけどね」と。それに一番呆れたかな…。

それにしても一連の葬儀はとても、疲れました。
葬式っていうのは、故人のためじゃなくて、遺族が納得するためにあるのかもしれない、と思ってしまったぐらい。一連の儀式に、いやきっと意味はあるんだろうけど、ほんとに意味なんてあるのか…とか。ただ、意味があるのかないのかわからんけどやっておかなきゃな、というのが「儀式」であり「仕来り」というものなんだろう…。
お坊さんがあれこれ読経をしても、きっと祖母はなんのことやらわからないだろうし、あんな寒いところに寝かせられたり、「面倒だね、そんなことしなくていいからもう寝かせて欲しいよ」とか、きっと思ってるんじゃないかな…と考えました。
数日かけて葬儀を行うと確かに自分の気持ちは落ち着くんだけど、
他の人の前だと心行くまで泣けないし、どちらかといえば、祖母のこと回想したりする時間は、家に帰ってからのほうが多かったです。

それにしても祖母の初七日の日、残業のある日なのだけれど、果たして定時上がりを頼んでいいものなのか・・・もう既に2日忌引を貰ってるので、言いづらいです。親が亡くなった、とかなら、まだ憂慮されそうなのだけれど、祖父母になると、周りの感覚的にどういう感じなのか、わからないや。

♪バイバイ長い夢 そこに行くにはどうしたらいいの?
迷子になるよ 道案内してね
バイバイ長い夢 いつか完璧な環になるように
次の手を教えていて
教えて(YUKI/長い夢)