山妣/坂東眞砂子

山妣(やまはは)

山妣(やまはは)


ネタバレあり。



明治中期、新潟の山村にある地主・安部家に、村芝居の指導をするため二人の旅芸人(涼之助・扇水)が訪れる。男でもなく、女でもない「ふたなり」の涼之助は、師匠である扇水と肉体関係があった。美しく妖しい涼之助を、村娘の妙は怪訝に思っていたが、盲目の妙の姉は密かに彼に恋焦がれる。同時に、地主の若旦那の妻としての暮らしに飽きていた美しい女・てるは、夫の鍵蔵に知られぬよう、涼之助と密通を続ける。
扇水と涼之助の登場により、静かに続いていた山間の村は少しずつ崩壊していく…。

三章立ての大作です。作者の坂東さんは、「子猫殺し」と冠したエッセイを日経新聞に載せていました…。
交尾によって子を成すことを雌猫の幸せとし、避妊手術を否定。飼い猫が産んだ子猫を自ら殺したことをつらつらと書いていたんですが……猫殺しの理由として、「(避妊手術をして)子種を殺すか、生まれてきた子猫を殺すかの差」という趣旨のことを言っています。なんというか…性や、死について書いてきた人であるから、言ってることはわからないでもないんだけども、猫好きとしては、けしからん!という感情しか思い浮かばないのです。だからこの人自体は好きじゃないのだけれど、今回の『山妣』みたいな土俗ロマン(といっていいのかな…上手い言い方があれば教えてください)を書いたらほんとうに凄い。


作中には時折、難解に思えるほどの方言が使用されているんですが……方言を使用したのは、もともと坂東眞砂子が、その地域土着の伝説や風習を取り扱った物語を得意とし、それが彼女の作品のアイデンティティともなっているからだ、という考え方が一番自然だと思うのだけれど、『山妣』においては特に、これが方言文学であることの必要性を感じさせます。
あまりに標準語からかけ離れた方言の使用、それによる読解の困難さゆえに、舞台が雪深い新潟の田舎町であることや、その閉鎖性を強く意識させられてしまうから…。

この、閉鎖性、というものが、物語においては大きな意味を果たしている、と思う。狭くて、逃げ場がないからこそ、怖いのであり、人間関係が密になる。それゆえ、思いもかけなかった人間同士の関係が結ばれる。よって、いかにも土着の物語、という風情が作品からにじみ出ることになるんだろうな。
全体を通して、細かな伏線が多い割には破綻がないし、伏線の回収も完全でとてもスッキリでした。